ごん太人形って何?買えるのはどこ?

「ごん太」という名の郷土玩具が今にわかに有名になり話題沸騰です。
インターネットでも店頭でも売り切れ状態が続いているそうです。
「ごん太」って名前を聴いただけで、どんなものなのかちょっと興味深々ですね。
もくじ
ごん太人形はいったいなにものなのか
そもそも「ごん太」人形は一体どんな人形なのでしょうか?
福岡県福津市の津屋崎地区で240年余りの歴史を誇る郷土玩具「津屋崎人形」の一つです。
人形の大きさは、身長15cmほどです。立ち方は「きおつけ」をしてなんだか情けない顔をしていますよ。下り眉で目も鼻も口も小さくて、ひ弱な感じです。
ごん太の生みの親と津屋崎人形の一つその歴史は?
ごん太の生みの親は原田誠さんという方で、1777年創業の「筑前津屋崎人形巧房」(福津市)の7代目人形師です。
出典:西日本新聞社
江戸時代に期限をもつ津屋崎人形は、福岡県福津市の津屋崎地区の地元の良質な陶土で最初は器を作った事から始まりました。人形作りに発展して、練った土を型に詰め込んで、形を整形して焼くという工程です。
色彩も鮮やかなのが特徴とされています。
型は代々受け継がれてきました、その数は約1500点にのぼります。
しかし、現在、人形工房はわずか2軒となってしまいました。原田さんともう一人の人形師の二人だけですが、お二人とも後継者がいませんでした。
原田さんは、300年以上続く「津屋崎祇園山笠」の唯一の人形師でもあります。後継者がいないことに危機感を感じた福津市は、デザイナーの中庭日出海さんに津屋崎人形の販路開拓を依頼したそうです。そして中庭さんが偶然、工房の片隅でほこりをかぶった、ごん太を発見しました。
ごん太人形の歴史
ごん太人形は、明治時代に創作されたもので、本来は米粉を塗った赤ちゃんのおしゃぶりとして作られたそうです。その容姿は直立不動に見えますが、よく見ると真直ぐは立っていません。顔も妙に大人びていて、後頭部はいびつです。見る人によってその表情が変わって見えるのもまるで人の心を映し出しているように感じられ、それは能面に通じるものがあります。
ごん太人形が世に出たきっかけ
初めてごん太を見た中庭さんは「矛盾だらけで、じわじわくる面白さ」にひかれて、このごん太人形をもっと制作したらどうかと原田さんにアドバイスをしました。
2016年、原田さんは国際見本市に初出展することにしました。
全国のおしゃれな雑貨を中心に展開される見本市で、このごん太人形を見た、有名店のバイヤーたちが「これヤバイ」「一周回って新しい」と噂になり、ごん太人形に興味を示しました。
この見本市に同行していた原田さんのご長男翔平さんはこの反応に、あらためてごん太人形を見なおすきっかけとなりました。そしてデザイナーの中庭さんを手伝うことになり、「まだやれることがある」と気付いたそうです。
公務員として働いていた翔平さんは退職し、本格的に工房を継ぐ決心をしました。そしてネット発信をはじめ、ごん太を世に出していったということです。
ごん太のバリエーション
出典:西日本新聞社
雑貨メーカーやアーティストたちとコラボすることによって、様々なごん太が誕生していきました。
ニットを着たり、久留米絣を着たり、はたまた外国人に変身したり、様々な表情を見せるごん太はいつのまにか大人気となりました。
ごん太人形を求めてわざわざ工房に買いに来た大学生もいたそうです。
そして、2018年の秋にはテレビで紹介され、ごん太人気に火が付きました。
いまでは売り切れ続出です。ネット販売大手のアマゾンでも再入荷の予定が立っていないということです。すごい人気ですね。
ごん太人形が買えるのはどこ?
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ちょっとびっくりなお値段ですが、それでも欲しいという人は是非どうぞ。
3体で40000円なり~。
ごん太の変貌ぶりに作者の反応は?
「兵隊やキューピー人形を作る時代もあった。同じ型でも表情や装いを変え、変化し続けてきたのが津屋崎人形です」と原田さん。千恵さんも「私たちも同じ物ばっかり作るんじゃ飽きますもん」と笑う。
父のあとを継いで8代目となった翔平さんも気負わずに、
「時代の流れに逆らわず、素朴さを残して、手作りの強みを生かしていきたい」
と抱負を語っていました。
まとめ
ごん太人形の表情がなんとも言えず癒されますね。
心を移すような感じと言われている様に、ある時は悲し気に、ある時は楽しそうに見えるのかもしれません。
人形の役割って結構そういうものですね。
おどけたごん太人形、見つけたら是非ゲットしたいと思います。なかなか手に入らないというので尚更実際に見てみたいですね。